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大人が襟を正す
 季節は師走、年の瀬である。講師も走るの例え?通り、バタバタ、バタバタ、
誠に落ち着きのない年末に突入している。
 先日、出張先で時間に余裕があったので、ホテルの部屋でテレビのワイドシ
ョーを見ていた。ご存じの通り、今年、秋田で2件、自分の子どもを殺した母
親の事件が発生した。その番組では犯人である2人の母親の生い立ちからの共
通項を探るという視点で番組を展開していた。

 いくつかの共通項の中で、2人ともいじめられた経験があることを紹介する
くだりを見ながら、私は背筋が寒くなった。論調は「子どもの頃、いじめられ
たから、事件を起こした」というものであった。また、共に学生時代に存在感
のない子どもであったことも共通項に挙げている。

 私がゾッとした感覚にとらわれたのは、現在、「いじめ」の当事者として悩
み悲しんでいる子どもたちが、この番組を見たら何と思うだろうかということ
である。子どもたちが学校に行っている時間帯であり、好奇心旺盛な主婦たち
の興味を満たすための企画とはいえ、いじめそのものが社会問題化し、加えて、
連鎖のようにいじめを原因とする自殺が増えている状況下でこのような扱いは、
たとえ事実であったとしても、あまりにも無神経な対応と思った。もしかした
ら、こうした大人たちの無神経さ、無遠慮さが子どもたちを自殺へと追い込ん
でいるのかもしれない。

 それは、いずれかの県であった、子どもが自殺した当日に教育長らが宴会し
ていた例、本来は地域の模範でなければならない県知事の不祥事の数々、「信
念」のなさを露呈し、自己保身、自己安泰のために投票行動や言動をコロコロ
と変える造反議員たち、そして選挙に勝つために昨年夏の総選挙の姿勢をどん
どんと後退させる政権党、「戦う政治家」はどこにいったのだ。こんな状況を
見て、大人たちが何を言っても子どもたちには虚ろに聞こえることばかりなの
かもしれない。

 私自身、教育を語る資格も知見ももちあわせていないし、偉そうなことを言
える立場ではないが、自分の言動には責任と信念の欠片くらいはもっている。
 年の瀬に暗い話で恐縮だが、全大人が子どもたちのために襟を正す必要があ
るのではないだろうか。


             (2006/12/04 人材開発メールニュース第411号掲載)


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